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シニアミュージカルを取り巻く環境の変化とシニア心

秋山シュン太郎氏
発起塾代表
秋山シュン太郎氏

 私たち「ミュージカル 発起塾」は、演劇初心者で50歳以上の人たちが、ミュージカルを上演する集団です。演劇、音楽、ダンスをプロの講師から習い、劇場や施設、デイサービスなどでミュージカル公演を催しています。
 私たちには3つの方針があります。

  1.50歳にならないと入塾できない
  2.あなたが主役
  3.100歳までやれる

 歳を重ねて活躍できる、新しい自分に出会える場として、多くの方の参画を得て、現在、下は52歳、上は89歳、総勢170名が練習と公演に励んでいます。 (2023年3月28日現在)

2021年、公演『アフロからの脱出』カーテンコール。
アフロウィルスがまん延して、みんながアフロ頭になるというストーリー。
コロナ渦のため、席は半数以下。感染防止に努め、感染者ゼロで公演を終えることができた。

20年前、社会はシニアをひとつに定義づけていた

 発起塾を創設したのは、1999年。当時のシニアの趣味はカメラ、家庭菜園、釣り、ハイキング、絵手紙など、あまり活動的な趣味ではなかったように思います。世間ではおじいちゃんおばあちゃんはおとなしくしていなければならないというイメージがあったのではなかったでしょうか。
 しかしそれだけで、シニアは満足していたでしょうか?
 高齢者人口は2,000万人を超え、介護保険が創設された2000年。多くの企業がシニアにアプローチしたいと望んでいました。しかし日常にシニアが参加し、出現する場は少なく、都市圏ではシニアは働き手としての役割を終え、趣味に生きるといった人が多かったように思います。多くの方にとって自宅での暮らしが中心だったのではないでしょうか。 でも、元気に歳を重ねて健康なシニアは多く、落ち着いた人生を送るにはまだ力が余っているし、カメラと家庭菜園では欲求不満を起こしていたのだと思います。しかし若者のサークルには入れてくれないし、入ったとしてもついて行くことが出来なかったようです。

シニアのやる気を呼び起こしたい
シニアが活躍する「シニアミュージカル」

 1999年、私が発起塾を設立すると、多くの企業からシニアを知りたいとアンケートの依頼を受けました。「シニアがどこにいるのかわからない」からでした。
 私が入塾条件を「50才以上」としたのは、スーパーマーケットの求人欄が理由です。求人募集の多くは「50歳まで」でした。つまり、当時50歳以上は「必要とされない」人材として位置づけられているのではないか、と思いました。また人生の区切りは「学生期」「がむしゃら期」「人生やり直し期」と3分割されると考え、人生のやり直しは、長くなった寿命を考えれば50歳が良い。と思いました。
 「50歳にならないと入れない」、「あなたが主役」、「100歳までミュージカルがやれる」ミュージカル集団発起塾の反響は大きく、テレビ・新聞・雑誌の取材が殺到しました。そしてシニア演劇が芽生え、発起塾が立ち上がって7~8年で全国に100を超えるシニア劇団が誕生しました。各地でシニアの方々が身の丈に合った劇団活動を始め、市や財団もシニアの方々のために協力するようになりました。そして全国にシニア演劇の笑顔の花が咲いたのです。

活気を帯びるようになったシニア
活動エリアは広がり、関係者や組織も増加

 行政、企業、民間団体はシニアのエネルギー(財力と時間と活力)により注目するようになり、シニア層の取り込みが盛んになりました。マスコミも連日元気なお年寄りを取り上げ、全国規模で、さまざまなシニアの活動が増えていきました。発起塾もおかげさまでたくさんの受講生を抱え、月に2回も3回も劇場公演をするほど参加者が増え、スタッフはフル活動していました。
 さまざまな発表会が各地で催され、シニアの文化活動の「バブル期」のようでした。自分たちの発表を見てもらうためには、知り合いの発表会にも足繁く通い、お義理券購入合戦がピークを迎えていたのです。

 そんなある日、コロナウイルスがやって来ます。
 治療法のないウイルスへの恐怖がシニアを襲いました。そして、志村けん、岡江久美子の死をきっかけに、シニアの恐怖はマックスに達しました。
 政府も行動制限をかけ、旅行、食事会等の自粛、趣味の活動などもっての外、ということになりました。 発起塾も退塾者の増大、入塾者0人の年が続きました。

コロナによって始まった、家の中での暮らし

 それまで自分たちの発表を見てもらうためには、知り合いの発表会にも足繁く通っていたのが、コロナで3年間、家での暮らしを余儀なくされたシニアは、冷静に物事を見るようになりました。
 シニアは好きな旅行、グルメ探索、サークル活動を控えるようになりました。
 発起塾においても意外な変化がありました。コロナ前と違って、退塾する理由の一つに、働き手として職場に復活することになったから、という声がちらほら出てきました。あるいは雇用期間が延長し、退職したら入りたいと言っていた人が来ない、孫の世話や通学の見守り、家事に頼られるなど、多くのシニアが「必要とされる」ようになってきました。必要とされることが大好きなシニアは、趣味の世界から離反していきました。

シニアの価値観は変化している

 東北大震災以降、幸せの探求が外向きから内向きに変わって行ったのも大きな理由だと思います。家族の重要性が増し、多くの友達より、深い付き合いができる仲間づくりが重視されるように変わってきました。ネットの普及でコロナ禍でも楽しめる趣味を見つけられるようになったこともあります。贅沢の「質の変化」なのだと思います。

2023年6月3日に上演する京都公演の稽古の様子

新たなシニア世代とは?

 新人類という言葉が昔ありましたが、同じように「新シニア」は「おひとり様」が増えて来ました。つまり多くの仲間は要らない、集団活動が少し苦手な人が増えました。自分磨きは常にしておきたいが、それを多くの仲間と協力して人に見せたい、という欲求は減少したのです。

 「新シニア」は発起塾にとっては、根幹を揺るがす「発表会を必要としない人」の登場です。そして何か負担に感じるとすぐ辞める人も増えて来ました。若者のように「コスパ」を考えるようになり、好きというより「流行」を追いかける人も増えてきました。

ウイズコロナ時代に私たちがやることは

 その「新シニア」層と共に楽しいミュージカルを作るにはどうしたらいいのかを考えることです。私たちがこれから取り組もうとしていることは、

〇シニアミュージカルからシニアを取って、ただのミュージカル集団にする
 周りを見ても精力的に活動しているのはシニアです。つまりシニア以外に昼間サークル活動をしている人はいないのです。ですからシニアを強調することをやめなければなりません。次に

〇ネットの普及に伴い、地域限定から全国展開をする方法を模索する
 今こそ地方都市との連携を図ることが大切だと思います。授業はもちろんのこと、これからはシニアに特化したテレビ局がいると思い「本日青春テレビ」というシニア専用のネットサロンテレビ局を開局しました。

「本日青春テレビ」の撮影風景

〇キーワード「薄く、広く、長く」と「濃く、狭く、短く」の極端な使い分け
 今、シニアは二分化しています。深い付き合いを求めない層を対象に、薄く、広く、時々休んでもついて行ける、長く取り組めるミュージカル。そして、専門性高く、短期間でも深くしっかり取り組む方々とのミュージカル。
 その二分化の色をもっと鮮明に出して行くことが今後の課題かと思っています。

秋山シュン太郎氏
発起塾代表

秋山シュン太郎氏

 虚航船団パラメトリックオーケストラ座付き作家・演出家。1981年『人力ヒコーキのバラード』でキャビン’85戯曲賞佳作受賞。以後、プロ活動に入る。高齢者、環境、青少年の非行等の社会問題を取り上げた作品も多く、高い評価を得ている。
 1999年、大阪府で中高年のためのミュージカル教室「発起塾」を立ち上げ、現在、和歌山、京都、東京、神戸、広島でも展開。地域、環境をテーマにした市民ミュージカルの依頼も多い。
 鹿児島県徳之島返還50周年記念イベント、神戸市震災復興事業や京都市の音楽文化芸術財団とのミュージカル劇団創設、大阪府堺市、大阪府和泉市などと共に中高年の生涯学習としてのミュージカル創作など、全国の地方自治体から公演やワークショップの依頼を受けている。またアメリカニューヨーク英語公演、ハワイの日本人2世のための慰問公演なども成功させている。