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◆体験談に見るシニアのリアルVol.4◆高齢者と飲酒
―お酒をやめて取り戻した、心と体と朝の時間


「酒がないと眠れない」と思い込んでいた

 私は72歳である。若い頃からお酒は嫌いではなかった。むしろ好きな方だったと思う。仕事を終えて帰宅し、夕食を済ませると焼酎のソーダ割をつくる。それが一日の締めくくりだった。

 勤めていた頃は仕事の責任も重く、ストレスもあった。酒を飲むことで気持ちを切り替えていた部分もある。しかし振り返ってみると、ストレス解消というより、純粋にお酒そのものが好きだったのだと思う。

 晩酌を始めると、つい時間を忘れてしまう。テレビを見ながら、本を読みながら、気が付けば日付が変わっていることも珍しくなかった。

 50代で経験した単身赴任も酒量が増えるきっかけだった。一人暮らしの部屋で飲むウイスキーは気楽だった。出張先のホテルでもコンビニで焼酎を買い込み、「酒がないと眠れない」と思うようになっていた。

 70歳まで勤め上げて退職する頃には、業務用の焼酎の18リットル入りケースを常備するほどになっていた。さすがに飲み過ぎだと思い、グラスに線を引いて量を制限してみたり、休肝日を設けたりもした。しかし、どれも長続きしなかった。

理由のわからない体の不調

 もともと私は血圧が高い。若い頃から上が180近くになることもあったが、「体質だから仕方ない」と、たかをくくっていた。体重も増え、お腹も出てきた。健康診断では血圧、肝機能、血糖値、コレステロールと、毎年のように注意項目が並んでいた。

 今思えば、生活習慣病のデパートのような状態だった。それでも大きな病気をしたことがなかったため、「大事にはなるまい」とどこかで楽観視していた。ところが退職後、少し様子が変わってきた。

 毎日がどこか重苦しい、朝起きても気分が晴れない、何をしても楽しくない。退職によって生活環境が変わったからだろうか。仕事という大きな役割を失ったからだろうか。そんなふうに考えていた。

 まるで鉛の塊を飲み込んだような重苦しさが胸の奥に居座っているようだった。心配になって、かかりつけ医に相談した。すると医師は、「一度、心療内科を受診してみてはどうですか」と言った。正直なところ驚いた。「まさか、うつ病なのだろうか」。そんな不安を抱えながら受診することになった。

思い切って「断酒」

 医師は私の生活について細かく質問した。何時に寝るのか、何時に起きるのか、どのくらい飲酒するのか、運動習慣はあるのか⋯一通り話を聞いたあと、医師は「飲酒による睡眠障害かもしれませんね」と言った。意外だった。

 私は酒を飲むと眠くなる。だから眠りには良いものだと思い込んでいた。しかし実際には、アルコールによって眠りが浅くなり、睡眠の質が低下することがあるという。「話を聞く限り、アルコール依存症ではなさそうです。ただ、お酒との付き合い方は見直した方がいいでしょう」と言われた。「急にやめるのは難しいですね」と言うと医師は笑いながら「節酒できる人なら良いのですが、難しい人もいますからね」確かに節酒は難しい。

 そこで私は思い切って断酒を選んだ。最初の数日は落ち着かなかった。夕方になると手持ち無沙汰になる。長年続けてきた習慣が突然なくなるのだから当然だった。しかし処方された薬を飲むと自然に眠くなった。

 そして数日が過ぎた頃、ある変化に気付いた。朝が爽やかなのである。頭がすっきりしている。体が軽いし、そして何より、お腹が空いている。私は何十年も朝食を食べない生活を続けてきた。それが朝になると自然に食欲が湧くようになったのである。


朝が変わると人生が変わる

 ちょうどその頃、娘から退職祝いにもらったスマートウォッチに歩数計機能が付いていることを思い出した。せっかくだから歩いてみよう。最初は2000歩、次第に3000歩、5000歩と増えていった。

 歩いているうちに街の景色が面白くなった。季節の変化が見える。知らなかった店を見つける。街そのものを楽しめるようになった。そうするうちに毎日8000歩を超え、今では1万歩以上歩くことも珍しくない。

 晴れの日も、雨の日も、暑い日も、寒い日も歩くことが生活の一部になった。適度に体を動かすと夜は自然に眠くなる。酒の力を借りる必要はなくなった。

ソバーキュリアスという考え方

 私は退職前から地域のまちづくり活動に参加している。当然ながら懇親会もある。酒を飲まないと肩身が狭かった。しかし最近は状況が変わってきた。今では「飲まない人」が自然に受け入れられるようになっている。

 ノンアルコール飲料も美味しくなった。ビールは驚くほどだ。ノンアルコールワインもある。飲み放題メニューにもノンアルコール飲料が並んでいる。社会の空気が変わってきたのを感じる。

 そんな頃、「ソバーキュリアス」という言葉を知った。お酒を完全に否定するのではなく、本当に飲みたい時だけ飲み、それ以外は飲まないという考え方である。欧米を中心に広がっているライフスタイルだという。その実践者は「ソバーキュリアン」と呼ばれるそうだ。

 私は流行を追ったわけではない。しかし結果として、その考え方に近い暮らしをしている。酒は決して悪者ではない。旅行先で地酒を味わうのは楽しい。美味しい料理と一緒に味わう酒の魅力も知っている。だからこそ、お酒を飲むことと飲まないことを自分で選べる状態が大切なのだと思う。

お酒がなくても人生は十分に楽しい

 お酒をやめて増えたものがある。まず時間。朝の時間が増えた。その時間に読書をする、散歩をする、新しいことに挑戦する時間もできた。そしてお金である。毎日の晩酌に使っていた金額を考えると、決して小さくなかった。もう、飲みすぎてタクシーのお世話になることもない。

 もちろん、その代わりに和菓子や洋菓子を買うことは増えた。妻からは「最近は甘いものばかり食べている」と笑われる。ただ、以前のお酒と同じ失敗を繰り返さないよう、食べ過ぎには気を付けている。

 健康診断の結果は劇的に改善した。血圧も下がり、肝機能も改善した。かかりつけ医からは「やはり睡眠障害だったようですね」と言われた。

 今の私は、朝起きて歩き、朝食を楽しみ、地域活動に参加し、夜は自然に眠る。酒を飲まなくなって失ったものより、得たものの方がはるかに大きい。もちろん、お酒を楽しむ人を否定するつもりはない。

 「酒は百薬の長」という言葉も、「酒は憂さの玉箒」という言葉も、私は単なる言い訳だとは思わない。本当に楽しみたい時に楽しむお酒は素晴らしいものだ。ただ私には今、お酒がなくても十分に豊かな毎日がある。 

 朝の光の中を歩きながら、そんなことを考えることが増えた。ソバーキュリアンという言葉を知ったのは最近だが、その生き方は思っていた以上に心地よいものだったのである。

    株式会社日本SPセンター シニアマーケティング研究室 特別顧問 村井直也