(上から続く)
働くことは、ポートフォリオを構成する要素の一つに過ぎないのだろうか?
図4.は、「経済的な必要性」と「労働」の関係を見たものである。
この図からは、60歳代前半と後半で「経済的必要性」の関与度が全く異なることが如実にわかる。
60歳代前半では「経済的な必要性はかなり高い」という声が圧倒的だ。これは大企業、中小企業を問わない。「経済的な必要性はやや大きい」を含めた経済的要因による労働は、大企業で75.2%、中小企業で74.6%とほぼ拮抗した数字である。
一方、60歳代後半では、「経済的な必要性はさほど大きくない」という人が最も多く、全体の40.5%を占めている。「経済的な必要性は小さい」ときっぱり断言した人を合わせると55.8%。過半数が経済的軛から逃げ切っているように見える。
「経済的要因」に「働く意欲」という変数を加えて、分布を表したのが、図5.。
年齢層や企業の規模に関わらず、「働く意欲があるし、働く必要性もある」と答えた人がいずれも断トツのトップ。数字を見る限り、「勤労を尊ぶ」日本人の面目躍如と言ったところだが、概ねその半数の第2位に付けている選択肢が、ここでも65歳を境目にして大きく異なる様相を示している。
企業規模の大小にかかわらず、60歳代前半では「進んで働きたいわけではないが、働く必要がある」人たちが、少なからずいる。対して60歳代後半の二番手の選択肢は「働く意欲はあるが、必ずしも働かなければならない」人たちなのだ。60歳代後半の人たちは明らかに、経済的理由以外に労働の価値を見出していると言える。
この余裕の差は一体どこに起因するものなのだろう?
「意欲」のパラメーターの一つとして、「いつまで働きたいか」を問うたものがある。(図6.)
この設問は各種の調査で色々な数値が出ているが、今回取り上げたデータでは、60歳代後半で「可能な限り働きたい」とする声が、他を圧倒的に引き離していた。尤も、まだ先のこととして想像が及ばない60代前半と即時的な肌感覚で「まだまだやれる」と実感している60代後半では、感触が大きく異なることは割り引いて考えるべきであろう。
「65歳を境に余裕ある労働」に転化するという傾向は、果たして今後も続くのだろうか? 残念ながら悲観的にならざるを得ない。
このデータの標本集団は、言いかえれば団塊の世代とポスト団塊の世代の差でもある。この両者に立ちはだかる世代間経済的格差は実は大きい。
従来、50歳代は資産形成期と言われてきた。住宅ローンと教育費という二つの大きな荷物を下ろし、収入も維持または向上し、適切な年金額も約束されてきた。こういった環境を維持できたのが60歳代の後半。あまり品の良い言葉ではないが、文字通りの「逃げ切り」世代であることは確かなのだ。
一方、60歳代前半はこうはいかない。大きな二つの荷物を背負い続ける人は数多いし、50歳代で収入の低下を経験している人も多い。年金も支給時期が遅れ、受け取るキャッシュも、月額数万レベルで低下するだろう。60歳以上で貯蓄のない人は従来はほとんどいなかったが、最近の調査では、22.7%に上っているのもその証左と言えよう。
いずれにしても、ポートフォリオの中心になるのが、ローリスク・ローリターンの労働であり、そのわずかなすき間に、余暇やボランタリー、趣味が入り込んでいるカタチになるだろう。
いずれにしても、自由になるフロー、世帯当たり数万円を巡る攻防になることは間違いない。そしてその総和こそ、シニアという巨大市場の実体なのだ。
日本SPセンター シニアマーケティング研究室 中田典男
2024年2月8日
2023年8月10日
2023年6月12日