今年(令和5年7月28日)の厚生労働省発表によると、日本人男性の平均寿命は81.05歳、女性の平均寿命が87.09歳。日本で2007年に生まれた子供の半数は、107歳まで生きる※との試算結果も発表されている。
現在、私たちは長生きすることが前提の社会に生きている。
※アメリカのカリフォルニア大学とドイツのマックス・プランク研究所が調査した結果
長生きに後ろ向きな40代・50代・60代、85歳以上
「不老不死」を願い探求してきたことで、多くの文明が発展してきたと言われている。(食料の安定供給、医学の発展、住まいの安全、武器、衣服、など。互いを知りあい地域の結束を高める文化も含まれるだろう)
長寿は多くの人の願いであり、60歳の還暦から古稀、喜寿、傘寿、米寿、90歳の卒寿、99歳の白寿、100歳の百寿…と、人生の節目は祝いの行事として定着している。
しかし平均寿命が高くなり、最頻死亡年齢は男性88歳、女性93歳(男女共同参画白書 令和4年版)である現代、私たち市民は実際のところどう思っているのだろう。
調査結果を見てみると、「長生き」に対する意識は必ずしも肯定的とは言えない。
長生きすることはよいことだと思う人(「とてもそう思う」+「ややそう思う」)が全体として7割近く占めているが、年代比較をすると若干異なる。比較的前向きなのは20代・30代。一方、40代・50代・60代、そして85歳以上は相対的に後ろ向き。
「100歳以上長生きしたい」と思う人は全体で22%。回答選択肢が異なる左のグラフと単純に見比べることはできないが、単に「長生きすることはよい?」という問いより、肯定意見が減る。日本のセンテナリアン(百寿者)人口が9万人を超えたとはいえその暮らしはまだまだ身近ではなく、イメージがつかないことも原因だろう。(「100歳のくらしを自分ゴトとして想像できない!」という声が聞こえてきそうだ)肯定意見が減るのは当然だが、こちらも20代・30代に比べて40代・50代・60代は相対的に否定的。(しかし70代以上は40代・50代・60代よりは、肯定的)
言わずもがなではあるが少子高齢化に伴う年金や医療費、介護の課題、気候変動や世界情勢の不安定化から未来に懸念を抱く要因は増えている。また相対的貧困率を世界比較すると日本は12位。(資料: GLOBAL NOTE 出典: OECD(Organization for Economic Co-operation and Development)自分の周りで、格差の拡大を実感している人も少なくないだろう。
このような現状を見れば、社会的責任を多く抱えがちな中堅層が「長生き」に対して若干後ろ向きになりがちなことは想像できる。一方で同じ現実を目にしながら、より過酷かもしれない未来、そしてシンギュラリティのような壁をぶち抜くような変化もあるかもしれない未来に、高齢期に入っている自らを20代・30代は比較的、肯定的に想像できている。
では年齢ではなく所得や暮らし向き、婚姻状況別でみたとき、長生きに対する評価はどうであろう?
経済状況や健康の違いは
長生きの捉え方にどう影響するか
等価可処分所得でみると、より高額な人ほど長生きを肯定している。しかし第Ⅰ10分位層から徐々に所得が増えるに従い必ずしも長生き肯定者が増えているわけでもない。第Ⅰ10分位層は比較的若い層が多いとも考えられるので、20代のグラフのように「長生きすることはよいことだ」と思う人が多いのかもしれない。
「暮らし向き別」の方が、長生きの肯定具合と比例している。使える金額そのものより、暮らし向きをどう捉えているかが日常の肯定に繋がり、その延長上として「長生きすることはよいこと」に繋がっていると考えられる。
次に健康と「長生き」の肯定具合を見てみると、両者は密接な関係にある。
健康による活動制限レベルにおいても、主観的健康感においても、よい状態であるほど「長生きすることはよい」と思う人が多い。両グラフを見比べると主観的健康感の方がより強く、長生きの肯定と比例している。
「長生きすること」への肯定に男女差、なぜ?
長生きを前向きに受け止められるか否かについて見てきたデータの中で、気になることの一つは男女の差。長生きに対する肯定に、男女で差が生じている。
いずれの問いに対しても、長生きを肯定的に捉える人は、男性より女性の方が少ない。
女性の方が長生きに対して後ろ向きで、男性の方が女性より前向きなのは、なぜだろう?
ひとつには女性の方がより平均寿命が長く、一方で高齢期に要介護になる人が多い。母親や祖母、周りの高齢女性を見ていて、長生きすることに不安に思う女性は多いかもしれない。介護の課題が年々社会課題として大きくなっていることを実感もしているだろう。いずれ介護が必要になった時、自分はどうやって暮らしていくのか…健康面でも暮らし方においても、不安を感じる人は少なくない。
もうひとつ考えられる要因には、男性と女性の高齢期における時間の使いかたの違いが関係しているかもしれない。
男性は加齢に従い仕事が減って自由時間が大きく増えるが、女性の仕事の減り方は男性より小さく、自由時間の増え方も男性より小さい。これは、高齢期に入っても女性の家庭内仕事はあまり減らないことを示している。
女性は長生きすると、「高齢期になっても、家事とかやらなくちゃいけないことはちっとも減らない。ギリギリまで働いて、それから要介護になるんじゃないか?」と想像しているかもしれない。さらに自身が介護する側であった人も少なくない。介護の経験から自身が誰かに介護を担ってもらうことが辛く、長生きを否定したくなるかもしれない。
高齢期、男性が家事・家庭内仕事を担うことで
長生き肯定具合を上げられるかも?
長生き時代に長寿を前向きに捉えられないことは非合理的であり、あまりにも悲しい。
これまで見てきた傾向の中でも比較的取り組みやすい改善方法に、男性の意識と行動を変えるのは如何だろう。
社会基本調査の結果にもあるように、男性の自由時間の増加は女性に比べてあまりに顕著。男性がもう少し家庭内仕事に気持ちと時間を振り向けられると、女性も長生きをもう少し肯定的に捉えられるかもしれない。
これまで高齢期の男性に対して「ぬれ落ち葉」*、「ワシも族」*など、不名誉な表現が聞かれてきた。それが妻の健康にも影響を及ぼす「夫源病」*にも繋がっているという。
*ぬれ落ち葉・わしも族:定年退職後の夫が特に趣味もなく、暇をもて余し、「わしも」と言って何かにつけ妻の後をくっついてくる様子を払っても払っても離れない濡れた落ち葉の状態に例えた表現。
*夫現病:夫の言動が原因で妻がストレスを感じ、生じる様々な不定愁訴を主訴とする疾病概念。医学的な病名ではない。
もし女性の仕事が男性並みに減るくらい男性が家庭内の仕事を行えば、女性にとっても長生きは今より楽しみな時間になるかもしれない。(つまり上記のグラフでいうと男性の2次活動時間が増えて、3次活動時間が減る。女性の2次活動時間が減って、3次活動時間が増える)
たとえば神戸における、男性が集まって料理を習ったり、パンを焼いて地域でカフェを開いたり、スモールビジネスと絡めて提案されている活動「パンじい」は定着してきた兆し。男性陣はパンづくりで地域で新しい役割と仲間とスキルを得ている。家庭での行動にも思わず変化が生じているかもしれない。
料理に限らず、家事力を上げる提案も考えられる。たとえば掃除まわりや家電まわりの商材提供事業者から、男性の利用支援や応援活動と商材を関連付けた展開も考えられる。
男性の態度が変われば、女性の長生き肯定感もあがるかもしれない。
金言に登場しているような声も、聞かれなくなっていくのではないだろうか。
株式会社日本SPセンター シニアマーケティング研究室 石山温子
2024年10月30日
2024年9月25日
2024年8月21日