(承前)
競技場とスタジアムではどうだろうか?(図4.)
この対決では、50歳代以下と60歳代以上の年齢層で、大きな違いが見受けられた。
20~30歳代の若い世代では、スタジアムを使う向きが競技場を圧倒しているが、50歳代で僅差に縮まり、60歳代で両者の立場は逆転している。両者の乖離は70歳代になるとますます激しくなってくる。
全体の趨勢や傾向は、前回のコラムで取り上げた「芸術家とアーティスト」によく似ているが、大きく傾向を変える分岐点が50歳代と60歳代の間に存在しているのだ。つまり「スタジアム」というカタカナ語の受容層は、「アーティスト」を10歳分上回っているということになる。「アーティスト」を使うにはさすがに気恥ずかしい50歳代も、「スタジアム」なら、無理なく使用できるというところか。
詳しく調べたわけではないが、球場の固有名詞をスタジアムと呼称するようになって久しい。そういった「馴れ」も手伝っているのかもしれない。
意外だったのが「雪辱とリベンジ」。(図5.)
リベンジというカタカナ表記の和製英語は、シナリオやスタジアムほど古くから使われている語ではない。言わば、急速に力を蓄えてきた言葉とも言える。にもかかわらず、若い世代から60歳代に至るまで、幅広い層に親しまれている。
なんと60歳代になってもリベンジ支持派はダブルスコアで、雪辱支持派を圧倒しているから驚きだ。
憶測でモノを言うことを許していただけば、この結果は一重に「雪辱」ということばの重さと字面が敬遠されたのではないかと思う。加えて「雪」という文字。「雪ぐ(すすぐ)」と読んで、「新しい栄誉によって、それまでの恥や汚名を挽回する」という意味に用いる。70代に至らないと、言葉自体に親しみを感じないということもあるかもしれない。
最後に、運動選手とアスリートの比較結果をみることにしよう。(図6.)
カタカナ語としてのアスリートは平易な言葉だが、長く一部の領域に用いられるに過ぎなかったように思う。スポーツ選手一般を指す言葉ではなかったというのが、中年以降の平均的な言語感覚だと思うが、いかがだろう?
この言葉もリベンジ同様、若い世代と高齢世代での差が著しい。20歳代では、7割が「アスリート」を主に用いていて、運動選手は1割に満たない。逆に70歳代では、同じく7割が「運動選手」を用いている。
二つの言葉の支持・不支持の分水嶺は、50歳代と60歳代の間に存在している。この点、「リベンジ」の方が約10年支持層が若い言葉だと言える。
わずかの例で即断は慎まなければならないが、本稿に引いた6つのデータからいくつかの傾向が読み取れる。
1.年齢層が上がるほど、カタカナ語の使用率は低下してゆく
2.漢語支持とカタカナ支持の分水嶺は言葉によって変わるが、概ね50歳代~60歳代の間と言える
3.漢語のイメージやニュアンスに違和感のある場合、カタカナ語支持の年齢層は高くなる
「シニアにはカタカナ語を使わない」というのは大方のセオリーではあるが、かといってやみくもに漢語に置換する必要もない。それよりも、漢語であれ、カタカナ語であれ、言葉ごとの適切な選択が重要なのだ。
人生経験豊富なシニアは、メッセージにこめられたその配慮をしっかりと評価している。
日本SPセンター シニアマーケティング研究室 中田典男
2024年10月11日
2024年5月22日
2023年9月26日